こんにちは、はっこんです。
今回の記事では森博嗣さんの『夏のレプリカ』を読んだ感想を書いていきたいと思います。
※本記事は『夏のレプリカ』を読まれた方に向けて書いたものです
※以降ネタバレを含みます、ご注意ください
『夏のレプリカ』はS&Mシリーズの第7作目です。
登場人物
- 犀川創平・・・・・・・・建築学科助教授
- 西之園萌絵・・・・・・・建築学科4年生
- 国枝桃子・・・・・・・・建築学科助手
- 西之園捷輔・・・・・・・愛知県警・本部長、萌絵の叔父
- 佐々木睦子・・・・・・・愛知県知事夫人、萌絵の叔母
- 蓑沢泰史・・・・・・・・政治家
- 蓑沢祥子・・・・・・・・泰史の妻
- 蓑沢素生・・・・・・・・蓑沢家長男
- 蓑沢紗奈恵・・・・・・・蓑沢家長女
- 蓑沢杜萌・・・・・・・・T大大学院生、蓑沢家次女
- 赤松浩徳・・・・・・・・誘拐犯
- 鳥居恵吾・・・・・・・・誘拐犯
- 清水千亜希・・・・・・・誘拐犯
あらすじ
T大学大学院生の蓑沢杜萌は、夏休みに帰省した実家で仮面の誘拐者に捕らえられた。
杜萌も別の場所に拉致されていた家族も無事だったが、実家にいたはずの兄だけが、どこかへ消えてしまった。
眩い光、朦朧とする意識、夏の日に起こった事件に隠された過去とは?
『幻惑の死と使徒』と同時期に起こった事件を描く。
感想
本作は第6作目『幻惑の死と使徒』と対になっており、偶数章のみとなっています。
章題はすべて”偶”という文字から始まっています。
(偶発の不意、偶感の問、偶語の思惟など)
タイトルの意味がまず気になりますよね。
レプリカとは複製品や模造品の意味を持ちます。
タイトルをそのまま解釈すると夏の複製?
では英題の「REPLACEABLE SUMMER」について考えてみましょう。
replaceableという単語は単純にreplace+ableでOKです。
置換可能、代替可能、もとへ戻せるという意味ですね。
よって英題を訳すと「代替可能な夏」となります。
主語は杜萌でしょう。
杜萌にとって夏に起きた出来事といえば、今回の事件を除いて、
中学生の頃に山荘での愛犬ロッキィの件、3年前の素生の件ですね。
本人が記憶の奥底に封じ込めることにより、忘れ去られていたこれらの出来事はまさにレプリカと呼べるのではないでしょうか。
直感的な考えで、自分でも納得できていない節はありますが、ボクは正しいと思います。
対になっている前作の『幻惑の死と使徒』は奇抜なトリックゆえの面白さがありましたが、本作はその逆で杜萌の内面の複雑さがメインとなってストーリーが進んで行きました。
この蓑沢杜萌という人物の内面は簡単には言い表せませんが、レベルを落としていえばメンヘラというやつですね。
事件の動機は単純ですが、杜萌の過去や、素生失踪などの要素が加わることにより杜萌の心情が変化していく様子がわかります。
それを最も顕著に読み取れるのは萌絵とのチェスですね。
杜萌とのチェスで今まで負けたことがない萌絵によると、杜萌は駒を大事にしすぎる保守的な姿勢があるようです。
それがラストシーンでは杜萌はチェスで萌絵に勝つことができました。
それは今までの保守的な姿勢が無くなり、勝ちのためなら犠牲を払うという新しい心情の表れでしょう。
でも、仮面の男に銃を突きつけられているうちに、私は決断したんだ。私がこの男を殺したら、あの人は、清水千亜希を殺してくれる。それで、あの人は……、もう私のものになる。それだけ。それだけで十分じゃない?ね?私はクイーンもルークも捨てたんだよ!これは勝負なんだ……。勝つために、すべてが許される。
蓑沢杜萌
このセリフが今回の事件の背景を物語っていると言えるでしょう。
今回の事件をチェスに見立てると、”クイーンもルークも捨てた”、”勝つために”、
これらのセリフをボクは次のように解釈します。
勝負の相手は共犯である赤松、勝つ条件は赤松が清水を殺すこと。
杜萌が捨てたクイーンとルークとは、殺された清水と鳥居を指しているのではないでしょうか。
杜萌が鳥居を殺すことによって、赤松は清水を殺さざるを得なくなる。
チェスの場面にありそうな話ですね。
このラストシーンでは親友の杜萌が犯人だと知った萌絵の悲しさが伝わってきてとにかく痺れた。
その後の杜萌はどうなったのだろうか、生きているのか、自首したのか、萌絵と再開することはあったのか。
そんな儚さが残る本作でした。読んでいるこちらまでメンヘラになりそうですね。
本作は最後に萌絵が失踪していた素生と再開し、終わります。
とりあえず素生が生きていることが判明し、
失踪していた理由などは読者に委ねるスタイルですね。
ボクの予想では、3年前の夏から素生は蓑沢家とは別居しており、家族はそれを杜萌に隠していたって感じですね。
杜萌のことを気にかける素生によって、切なさが増します。
新幹線で犀川が萌絵に、
「名前が逆だっていうのには、気がついていた?」
と言いました。
これは、前作である『幻惑の死と使徒』の方の事件に関してですね。
前作ではマジシャン有里匠幻の正体が原沼利裕と明かされました。
この原沼利裕を漢字のまま逆にすると、
裕利沼原→ゆう り しょう げん→有里匠幻
という事ですね。はい。
犀川は今回の事件についても序盤の方で解明していたでしょう。
犀川本人によると、犀川が客観的な位置にいる事で、ある道筋が見えるとのことです。
それはミステリィ小説を読む読者が、メタ読みをすることによって、トリックや犯人を見つけるのと同じことでしょう。
ミステリィ小説だからって読者がトリックを考えることが、必ずしも正しい読み方ではないように思えますね。
本作はS&Mシリーズの中でもかなりおもしろい小説だと思います。
読み終えて一日経ってからこの記事を書いていますが、未だに余韻が残りますね。
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